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歯の健康と歴史
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古代文明と歯科治療の技術
古代エジプトの「エベルス・パピルス」には、当時の歯科治療法が詳しく書かれています。歯痛の療法、動揺歯の固定法、歯ギン病など、古代人もむし歯や歯周病など、口腔のトラブルに悩まされていたことがわかります。
歯ブラシのはじまり
「朝早く床を離れ、そして歯を磨きなさい。」 古代インドにおける歯科医療の原点、「スシュルタ本典」の一般衛生法に関する第1章は、こんな戒めの言葉から始まります。スシュルタは仏教の祖、釈迦と同時代の人物で釈迦もまた歯磨きを一つの戒律とし、その教典に記しています。インドの人々が口腔内の清掃に使用したのはニームと呼ばれる灌木で、これを“歯木”と言います。その当、時歯木は単なる歯の清掃用具というよりは、むしろ宗教儀式の際に必要な仏具だったのです。
医学の祖 丹波康頼
982年(天保元年)丹波康頼によって編纂された「医心法」全30巻は、日本最古の医学書といわれています。ここには歯周病の治療をはじめ、歯痛、う蝕、歯肉の病気、腫瘍などの口腔疾患に関する治療法が書かれています。
中世の歯科事情、迷信に頼った歯科治療
13世紀、サレルノのロジャーによって書かれた有名な書物の挿絵から、当時の歯科治療の様子がよくわかります。当時の歯科医師はヒヨスやニラの種に羊の油を混ぜた丸薬の燻蒸消毒によって、歯の虫を退治しようとしていました。
床屋外科医の登場
中世ヨーロッパでは、医療の大部分を修道僧が行っていました。しかし1663年に発令されたトゥール勅令は、修道僧の外科的手術を一切禁じた為、床屋外科医なるものが出現しました。もともと修道僧の助手的立場であった床屋は、白内障の治療、腫瘍の切開、抜歯など活動範囲を広げていきます。しかし高度な技術を時代が必要としたため、やがて職業的外科医が登場しました。
解剖学的知識の普及
15〜16世紀の医学の進歩は、解剖学におけるルネッサンスにあります。レオナルド・ダ・ヴィンチが解剖学自体のために研究したスケッチは、外科医学の精神的な先駆けとなりました。アンドレアス・ベサリウスの、「人体の構造について」は、医学の研究と教育に革命をもたらした。解剖学上最も偉大な書物とされています。最初の歯科解剖学者は、ベサリウスの弟子、オイスタキウスです。1563年、歯牙の解剖と歯周組織に関する最初の書物「歯についてのパンフレット」を著述しました。
江戸時代の歯科医
江戸時代、正規の教育を受けた口中医とは別に、入歯造りを専門とする「入歯渡世人」や「入歯師」、口中治療をする「歯医者」、抜歯専門の「歯抜き」、 大道に立って膏薬を売ったり、外科治療を行う「辻医者」など、様々な分野の専門医が登場しました。中には、居合抜きやコマ回しなど、目の眩むような早業を見せ、街頭で治療を行う軽業師たちの姿も見られ、こういったいかさま師や、やぶ医者が5600人も商売を営んでいました。 現存する世界最古の有床義歯は、1538(天文7年)に74歳で亡くなった和歌山市の願成寺の草創者、佛姫のつげ製の上顎総義歯です。現代の義歯と同じ顎への吸着法が使われ、前歯にはお歯黒が塗られていました。欧米でこの吸着法が発見、実用化されたのは数百年も後のことです。
わが国独自の木床義歯は、12世紀頃、木仏師の手慰みから生まれ、これを専業 とするようになったのは、室町時代からと考えられています。
ジョージ・ワシントンの義歯
アメリカ初代の大統領、ジョージ・ワシントン(1732-1799)は、ニューヨークの歯科医師グリーンウッドに義歯を作らせました。上顎は金を圧印したもので、下顎はカバと思われる牙で作られた歯が木釘で床に固定してあり、上下の床はコイルスプリングで結ばれています。
幕末の歯科医学
1857年(安政4年)に出版された越智臓版「全体新論」には、高度な歯科解剖図解が掲載されています。これは医者であり宣教師であったイギリス人のボブソンが出版したもので、歯の分類や歯の交換の様子が克明に図解されています。
明治の歯科医学
長い間、ほとんどの歯科医師は普通の食卓用椅子で診療を行っていました。現在のようなリクライニング式の歯科治療椅子が初めて登場したのは、1832年ジェームス・スネルによって作られた椅子です。その後、改良が重ねられ、歯科医療に適した椅子が開発されてきました。
ゴム床義歯の発明
1855年(安政2年)チャールズ・グッドイヤーが発明した蒸和ゴムによるゴム床義歯。レジン床義歯が登場するまで長い間、義歯床材料として用いられてきました。日本でも木床義歯の替わりにゴム床義歯の技術が発達しました。
入れ歯師と香具師(やし)その引札
室町から江戸にかけて、仏師の木彫技術は様々な方面に広がりをみせた。
根付師、能面師、指物師などで入れ歯師もその一つであった。
宮中や幕府に仕える口中医らは、口歯、唇舌の病気と咽喉の治療を行い、入れ歯などは造らなかった。入れ歯造りを営む者を入れ歯師または入れ歯渡世人と呼んでいた。また、入れ歯造りの傍ら、口中治療をする者を歯医者と呼び、盛り場などで抜歯を主とする者を歯抜きと称し、正規の教育を受けた口中医とは区別していた。加えて、難しい本が読めた浪人のなかには医書などを読み、大道にて膏薬を売ったり外科治療を行う辻医者と呼ばれる者もいた。これらの人々は、特殊な組織の中で活躍していた。
この組織が「香具師又はてきや」と総称される組織である。
香具師は、今日では露天商と異名同義のように思われがちであるが、単なる露店商人とは区別されるべきものである。第一には、彼等は共通して『神農』を崇拝している。神農とは古代中国の帝王であり、伝説によれば、はじめて民に火食を教え、農具を作り、五穀の播種を知らせ、草木を採取して能毒を弁じ、医薬を定め、市を開かしめ物の交換を行わせたという。また、この神農とは、中国漢方の原著とも言われる『神農本草経』に登場する程の人物でもある。第二に、香具師の親分は縄張りなどには固執せず、テラ銭などは子分衆からはとらずに、仕入れた商品を適正に子分衆に与えていたようである。
これら入れ歯師の引札(広告チラシ)を2〜3紹介しよう。江戸蔵前の長井兵助の引札には、いろいろな人工歯が書かれている。「象牙、しゃこうにこうる(一角鯨の角)、鯨のひげ、鹿の角、唐木類、極上ろう右、御好次第。」と読める。江戸末期の名古屋の伊藤源之進の引札には、看板に『男女入れ歯細工所』とある。「入れ歯でどのような堅いものでも食すること受け合い。万一具合が悪くなったならば何度でも直して差し上げ申します。口中四ケ病については、どのように六ケ敷病でも、その症候を見立て、きっと引受け療治いたし遺し差しとげます。」と誇張した文字が見える。京都三条小橋の入れ歯師松楽堂の引札には「元祖入れ歯。このたびひろめのため、御入れ歯細工仕ります。値段は至って下直ではありますが、具合はいいこと受け合いして差し上げます。・・・・・」とあり、男惣入れ歯 代金一分二朱より、女惣入れ歯 金一分くらいよりと代金が明示してある。大阪の松井源之助の引札には、入れ歯のみならず、入眼(義眼)もつくることを載せている。「二、三枚を江戸流にして糸なし細工も致します。」とあるが、普通は木床堤に糸で固定するが、柳生飛騨守宗冬の入れ歯のように、歯を鳩尾形に彫って嵌めこむ方法である。
「歯の風俗誌」 長谷川正康著より
東京都歯科医師会 歯の健康と歴史より抜粋
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「歯磨き習慣」に関する市場調査
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| 口腔疾患を予防する上で「歯磨き」は重要です。では、最も効果的な「歯磨き」とはどんな歯磨きでしょう。回数は?実行する時間帯は、朝?それとも夜?(財)サンスター歯科保健振興財団では、歯磨き回数や歯磨きの時間帯が、歯の清掃状態や歯肉の改善にどの程度関与しているのか、継続的な産業歯科予防健診を通して分析し、興味深い知見を得ることができました。 |
歯磨きするなら「朝」より「夜」、「夕食後」より「就寝前」に
調査対象は平成13年度に歯科健診を1回受診した21,595名で、男性13,557名と女性8,038名。そのうち歯磨さをしない人は4名。 時々歯磨きをする人は138名。残り21,453名は1日1回以上歯磨きをしており、これら1日1回以上歯磨きをする人の回数別割合は(図1)のようになっています。
今回の調査では、1日1回以上歯磨きをする人に、いつ磨くのかを尋ね、回数と時間帯の違いが、歯の清掃状態と歯肉の状態にどう関係するのかを集計しました
その結果、明確になったポイントは2つあります。まず第1番目は、1日の歯磨き回数3回の群が最も清掃状態が良好であったこと。これは、当然の結果といえますが、興味を引くのは第2番目のポイントです。
歯磨き を1日1回する群、2回する群、3回する群、どの群でも、「夜寝る前」に歯磨さをする群が「夕食後」に歯磨きする群より、清掃状態がわずかながら良好な傾向が見受けられたことです。清掃状態が最も良好であったのは、1日3回、朝食後、昼食後、夜寝る前に歯磨きを行う群で、73.2%が清掃状態良好の結果を得ています。
歯肉の健康状態についても、ほぼ同じ結果でした。
患者さまへの歯磨き指導の際、夜の歯磨き提案はもう常識ですが、このデータから見ると、さらに「夕食後」より「夜寝る前」の習慣をおすすめしたほうがよさそうです。
継続はカなり
歯科健診受診者1,154名を対象に、年1度、4年間の継続調査で、歯磨きを継続する、しない、でどんな違いが出るかも調べてみました。やはり、歯磨き回数を減らすと、40.0%の人にCPI(communityPeriodontalIndex)コードの増加が見られます。 興味深いのは、歯磨き習慣を夜寝る前に増やした群では65.6%に歯肉状態の維持・改善が見られたのに対し、夜寝る前の歯磨きを減らした群では42.5%にCPIコードの増加が見られたことです(図4)。ここでも、夜寝る前の歯磨き習慣の大切さがうかがえます。
就寂前だからこそ
就寝前という、ブラッシングに関して比較的時間のとれる時だからこそ、患者さまの口腔内の状態にあわせて、いろんなオーラルケアの商品をご使用されてはいかがでしょうか。
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古代エジプトにもあった・・・“歯磨き”と“歯磨き剤”の謎
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人はなぜ歯を磨かなければならないのか?
ズバリそれは歯の健康維持のため。歯を失って一番辛いのは、好きなものを自由に食べられないと言うこと。とくに高齢になればなるほど、食べることが楽しみになってくる。ところが、現在の日本人では、成人で28本ある歯が、60歳を過ぎればその約半分に減っている。
そこで今「8020(ハチマルニイマル)運動」が推進されているのです。「8020」とは80歳になったときに、20本の健康な歯を残そうということです。やはり自分の歯でものを食べられるのが一番。そのためにも悪いところがあれば早く治療して、正しい歯のみがき方を週間づけることが大切ですね。
日野市で行われている「8020表彰」では20本どころかほとんどの歯が残っている高齢者の方が毎年数名表彰されます。その方たちは半年に一度定期的に検診をしています。年をとっても歯を残すことは十分可能なのです。さらに歯が悪くなって失うのは、食べる楽しみだけではない。歯以外の健康まで損なわれてしまう。 「40歳台の約80%もの人が歯槽膿漏になっているんです。これは歯ぐきに炎症を起こし、口臭の原因を作りやがては歯が抜けてしまう恐ろしい病気です。当然ものを噛む力も弱まるので消化器官にも負担がかかってしまうのです。
さてこのように大切な「歯磨き」だが、文明が進むにつれて食習慣が変わり、むし歯や歯槽膿漏が増えてきている。実際厳しい自然環境の中で暮らしたネアンデルタール人にはむし歯がなかった、という報告もある。道具を用いて歯を磨いた例だと、紀元前5〜6世紀のインドで、宗教的意味合いで木の棒を使って、歯を磨いたとされている。これは歯木と呼ばれるもので、端を噛んでほぐし歯ブラシにしたもの。また古代エジプトでは、 ビロー樹や火打石の粉、緑粘土、密などを混ぜて歯磨き剤として使ったという。その後、ギリシャやローマ、中国など中世にいたるまで動物の骨や角を焼いた炭や灰(リン酸カルシウム)を原料にしたものを使っていたとか。
ちなみに日本に歯磨き剤が登場したのは江戸時代。貝殻をすりつぶした炭酸カルシウムが主成分だった。さらに、先の歯木が進化したものとして江戸時代、大流行したのが房楊枝。先端が房状になった楊枝で、神社や寺の境内で売られ爪楊枝と共に庶民の間でブームになったという。このブームで男女の楊枝を使う姿が浮世絵で描かれ、今も残っているのだ。
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